スキューバダイバーとサンゴ

西表島移住20周年記年 その3

移住先を求めて阿嘉島、宮古島、波照間島、与那国島

​慶良間、宮古島 編

 ダイビングのライセンスを阿嘉島で取得、以来この島に年間3回を数年続け島の様子、住み心地を確かめながらダイビングを楽しんでいました、いつもお世話になっていた民宿のおばあが米寿のお祝いで飲み過ぎて入院したという事もありました。
又違う民宿では、主人がタコ取り名人で宿にはタコのぬめり取り専用の洗濯機がありました、島には、天然記念物の”ケラマジカ”が棲んでいてかなり農作物を荒らしていたようです、周囲の海は大変豊かでサザエもたくさん、スクガラス(アイゴの稚魚)も時期になると大量に取れていました、港で夜釣りをしていた時、シマアジが釣れたこともあります。
 今とは多少様子は違うとは思いますが 30年前は外部からの移住者を快く受け入れるというような雰囲気はあまり感じられませんでした、土地の購入はまずできないといわれ、親類縁者、縁故関係を伝ってOKが出たとしても、値段は東京23区並みだよといわれたことを覚えています。(ダイビングショップの人のお話)
 宮古島へも年間3回を数年続けて通っていた時期があります、ダイビングのライセンスを取得したときにお世話になったガイドさんが宮古島で独立開業したという連絡を受け早速駆けつけました、国産マンゴーの味を知ったのはこの時です。
 ダイビングポイントはほぼ”八重干瀬”何度行っても違う表情が見れます、池間島から出発します、ここの漁協の組合長、
大変ユニークな方でよく覚えています、ダイビングの後釣りをしながら帰ったこともあります。
​ 宮古島には”おと~り”という風習があります、これが大変、お酒の弱い人にとっては災難です、この島への移住はあまり深く考えませんでした、観光地としての位置に立派なものがあり観光客の出入りが非常に多く(私もその中の一人)私にはあまり向いていないような感じがしていました。

与那国島、波照間島 編

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 有人島としては日本最南端、という言葉の響きに引き寄せられ波照間島へ、行きは高速船、帰りは飛行機。
波照間港に到着、お迎えが来ない、この様子を見たよその宿の主人「どこの宿だ、送るよ」というところで本来の宿のお迎え登場、島全体が一つの家族という雰囲気の一端が垣間見えた一場面です。
 島を自転車で一周、誰もいないニシハマビーチでスノーケリング透明度がすごい!宿の夕食、「今日は後でワンマンショーがあるからね」ほかの宿のお客さんが集まりだしたぞ、そこにシュージさん登場、この人の仕事は2月にスイカを栽培本土の料亭などに販売している、軽やかなトークと軽快な三線と歌声でした、それもそのはず八重山の三線大会の上位入選の常連さんでした。
翌朝他の宿のお客さんが朝食をたべに来ます、? 食事担当の人が体調を崩して食事の準備ができないそです、
まさに島が家族。
 帰り高速船が欠航、飛行機で帰ります機種はDHC-8だったかな?20人乗り位、でもCAさんいましたよ。
​今は飛行機飛んでません、飛行場も新しくなったのに、残念です。

 
 与那国島も波照間島同様”日本最西端”という言葉に惹かれ行きました往復飛行機です、今はなき YS-11です。
座席は2人掛け2列なのでかなりゆったり座ることが出来ます、またプロペラ機なので翼が大きく何故か安心感があります。空港に到着するとなかなかお迎えの車が来ません、しばらくして来ました、が、宿までたどりつけるの?
くらいのポンコツでした、送迎車でビックリしましたが宿は奇麗な個室で快適でした。
​ レンタルバイクで島を一周、与那国うまにぶつからないように、のちに「ドクターコトー」で有名になった診療所の側の比川海岸でスノーケリング、素晴らしい!スノーケリングで泳いだ沖縄の海で最高です。
​ 宿の手伝いをしている?ネーネーの〇〇は、、半年いたら(働いたらではありません)片道航空券、一年いたら往復航空券だそうです、三食昼寝付き。三十年くらい前のおはなしです
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