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スーパーGT 協会の方、画像を勝手に使わせていただいております。不都合であればいつでも削除いたしますので御一報ください
ツーリングカーチャレンジダイヤリー 1983
初めてのレースは新春2時間耐久レースでした、シリーズ戦の一戦ではありません、二人で交代し走ります、通常のスプリントレースより長い時間走るので初戦としては練習にもなるという事でエントリーしました。
相棒は「コージ」彼とはその年一年間同僚として、またライバルとして戦っていくことになります。結果は3位表彰台です。しかし1位とは周回遅れです、シリーズ開幕までにはこの差を詰めなければ、、、これには練習しかありません、シリーズ初戦まであとふた月、夜勤明けの休日以外の休日はほとんどサーキットへ練習走行へ行っていました。通常ほとんどのドライバーは土曜日に練習、日曜日決勝、というパターンでした、私は金,土を練習に充て他のドライバーの2倍は走りこんでいました、その成果もありトップとのタイム差はほとんどなくなりました。
NP-1シリーズ初戦の結果は4位、4車団子状態でチェッカー、あと1周あったら、、、タラレバは無い!
第2戦、、、その前日の土曜日大変な事が起こります、FJ1600で練習走行のチームメイトが帰ってきません、私はパドックからバイクに立ち上がって乗りコース上のチームメイトを探している最中トラロープに引っ掛かり転倒、何とノーヘルで顔面からアスファルトに激突してしまいました、顔面裂傷、出血大、前歯数本折損というかなりの事故です、すぐさまチームメイトに連れられ整形外科へ、唇上下十数針縫合、続いて歯科医へ急行、処置を行っていただきました、が、実はこの時大変だったのです、
整形外科では、唇の周辺3~4か所に麻酔を打ちます、これが痛い!しかも先生は麻酔が効くまで待ちきれないらしくすぐさま縫合に入ります、泪がちょちょ切れます、歯科医へ到着したころは麻酔が切れた頃、たった今縫合が終わったばかりの、唇を上に下に引っ張りまわされます、再び泪が。帰りに看護婦さんから本日は8本抜歯しましたので明日は熱がでて動けないはずですのでゆっくり静養してください、と釘を刺されました、しかし明日は大事なレースなんだけどな~。
その夕方、メカニックの一人がスタミナドリンクを作ってきてくれました、当然食事はできないだろうからという心遣いからです。ありがたかったな~、その晩何故かぐっすり眠りさわやかな朝を迎える事ができました。
よお~し、これなら出来る、サーキットへ赴きます、しかし線路の段差はもちろん横断歩道の段差でもビリビリと傷口に響きます。当日の天候は強風、大雨最悪のコンディション、しかしこれは全員同じ、トライバーズミーティングが始まります、そこで私は用意していた大型のマスクをして顔を隠して参加します、そのままだとドクターストップがかかるかも知れないので、(実はそのことを想定し歯科医に大型マスクを貰っていたのです)
予選開始、滑る、滑る。結果2番手、決勝スタート、1コーナー2番手のまま通過、直線向かい風の為スリップストリームがきくきく、トップに立ったところでハイドロプレーニング、(そこは大雨が降ると小さい川になるんです、その後、F3000で星野一義がクラッシュ、担架で運ばれることになるあの場所)スピン、クラッシュ。1周もしないうちにレースは終了しました。3日後サーキットに車を引き揚げに行ったところ車はブロックの上に載せられ、タイヤ、ホイール4本盗まれていました。
たぶんこれ以上悪いことは起こらないでしょう。
第3戦、、、最強ライバルが現れます、トヨタオート四国をスポンサーに持つ「Y」です。私より型式の新しいKP61です、私のは初期のKP61です、金曜日の練習走行からガンガン本番並みにやりあいます、土曜日も本番並みにガンガンやりあっていた所、「Y」はオーバーヒートを起こしエンジンを壊してしまいます、(ちなみに私はオーバーヒート対策として温風ヒーター全開で走ります、窓は全閉ですから、車内はサウナ状態です)たぶん明日は出場できないだろうと思ってたところ、なんと日曜日本番、最新のKP61を用意してきました、車のパワーではかなりの差がありますが、足回りのセッティングが出来ていないので勝負は五分五分、、、ではなくやはりパワーが強いか!?
予選、ポールは私、セカンドは「Y」、コージは3番で、よーいドン。
トップをキープしているもの、「Y」はピッタリ張り付いてくる、3位以下を引き離しマッチレースになりそううな4週目「Y」がS字で仕掛けてきた、接触、両者スピン、コースアウト、コージ、4番手の2台が通過した後3番手ですぐさまコース復帰、その後2番手を抜きチームの1-2体制、後はコージを抜くだけ、しかしラインを変え追い越しにかかろうとすると後ろが並びかけてくる、コージと勝負していると、後ろのやつにやられるかもしれない、1,2、戦とも主だった成績が残せていないチームの為、後ろのやつのブロックに徹する、必殺左足ブレーキ。1コーナー立ち上がりアクセルONと同時に左足でチョンとブレーキペタルに足を載せる(ブレーキは効かないが、ランプが点灯する)後ろは何事!と思いほんとにブレーキをかける、しかし何度も使えるものではない、自分が出来うるあらゆる手段でブロック、そしてチェッカー、初のチーム1-2フィニッシュ!やったぜ~!!
しかし私の中にモヤモヤが、チーム1-2の為後続のブロックに徹した事が理解してもらえているのだろうか、、
それはまったくの杞憂でした、チームメンバーはもちろん、コージも解っていました、30数年たった今でも鮮明に思い出すことのできる記憶に残るレースでした。
第4戦(最終戦)、、最強ライバルを何とかでいないか、車を最新型に変えればいけるんだろうが、そんな銭はもちろん無い!そんなところに超朗報が舞い込んできました、な、な、なんと、ダンロップタイヤさんから新しいコンパウンドのタイヤを使ってみないか、との申し出が、レースを始めて1年にもならない新人にタイヤスポンサーて?これには訳が、チームはTSクラスでダンロップタイヤを使用、圧倒的実績がある為そのおこぼれといったところだ。早速履いて走行、S字(ここはほんの少し逆バンクになっている)走行時若干滑るため小さくカウンターを当て走り抜けるところ、全く滑らずグリップ、その為左側が浮き上がり危うく転倒するところでした、タイムは一気に1秒近く短縮、非公式ながらコースレコード!!これなら戦える。
決勝当日、なんという事でしょうエントリーリストに「Y」の名前がありません、全身の力が抜けたような、なんともいえない感じ、気を取り直しレースに臨みます、「コージ、今日はお前と勝負じゃ、行くぞ」「はい、やりましょう」結果は、優勝私、2位コージ、シリーズチャンピオンはコージ、私は準チャンピオン、雨の第2戦がひびいたな~、あの時3位以内に入っていたら、、、、タラレバは無い!、、ニラレバは旨い。
年が明け、再び新春2時間耐久レースに出場します、昨年屈辱の周回遅れにされた○○選手(名前忘れた)今回は周回遅れにしてやりました~、まではよかったのですが終盤、3コーナーで単独スピン、立ち直りトップに立ったところ再度3コーナーでスピン、今度は後続と接触、ラジエーター破損、水温が上昇し始めたのでレースはリタイヤすることにしました。
今年はシビックレースへの出場が決定しています、一波乱二波乱、いえいえもっともっといろんなことがおこりそうですよ。
ツーリングカーチャレンジ2 「僕たちの甲子園、FFスーパーシビックレース」は、特別サイト2で。
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