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愛車、サニトラ
大混戦のシビックレース
​特別サイト2 レースチャレンジダイヤリー 「FFスーパーシビックレース」
シビックレースの新聞記事
 1981年、イコールコンディションを基本にしたシビックによるワンメイクレースが日本で最初に始まりました。当初は有名ドライバーも多く出場し開幕時から人気を博したレースです、西日本サーキットでは1982年から始まり私が参加したのは84年でした(確か?)当時のキャッチコピーは「僕たちの甲子園、FFスーパーシビックレース」というもので、それぞれのサーキットでシリーズ6位以内の選手は鈴鹿サーキットへ招待されるというものでした。
 シリーズ全6戦、1,2,3、戦は常にセカンドグループを走ってトップグループを走る事は出来ていませんでした
原因は、FFという車の特性がつかめず車をうまくコントロールできていない、そしてもう一つはイコールコンディションというものの、エンジンパワーにかなり差が生じているという事で、無限ホンダから最大パワーを引き出すための
エンジンは○○年式のヘッド、○○年式のシリンダー等を公式発表しました、それに従ってエンジンを組みなおすとともに、私の走りもFFという癖を掴み4戦以降ようやくトップグループを走ることが出来るようになりました。
トラックのブレーキ点検
車の修理
タイヤ、ホイール大事です
 第4戦、、予選1位私、2位〇水選手、3位一〇選手。実はこの年のシビックレースは3戦目までは、〇水選手と一〇選手の2人の独壇場、そこにようやく私が割り込んだという状況でした。
 よーいドン、トップキープで周回を重ねていきます、しかし〇水選手も執拗にアックしてきますアウトからのアタック私は自分のラインは絶対譲りません、接触も多々、この時、時間の流れに不思議なものを感じます、前年度のレースで4位からトップグループを追い上げるときの時間の速さ、あっという間に周回が過ぎます、しかしトップに立ってからの周回の遅さ、いつまでもチェッカーが見えません、そうなんです時間は一定の速度で流れてはいないんです?! それは置いといて、レースはそのまま私がトップチェッカー、僅差で2位「S」しかし翌日、サーキットから呼び出しを受けます、昨日のレース、あなたの走りをラフプレーとし始末書を提出するように提出なき場合はライセンスを停止するものである、、、ガ~ン、/(^o^)\ナンテコッタイ 自分として絶対に納得できないが、ライセンスを停止されると​残りのシリーズ戦に参加できない、断腸の思いで始末書提出しました。
 
スタート&フィニシュ
室内はシンプル
イコールコンディションなのでオーバーテイクはかなり難しい
 第5戦、、、だったと思う、1時間セミ耐久レースです、各チーム悩みどころはタイヤ選択。「R」と「J」の2種類
最近で言うところのソフトとハードですね、タイム差が0,5秒くらいあります、「R」であれば1時間十分持ちます、
しかし「J」を使いたい。練習走行では30分2回持ちます。そこで私は「J」タイヤ新品で無交換、〇水選手は「R」タイヤ無交換、一〇選手は「J」タイヤ交換と、トップ3それぞれのタイヤチョイスで、よーいドンですが、途中1回のピットストップ1分間の義務があります
 序盤2番手、数週目トップの一〇選手を3コーナーでパス、トップ走行、ピットインのサインでピットストップ、
タイヤ延命の為、水で冷却、ピットアウト終盤近くまでトップ走行、しかし終盤タイムがガクンと落ちます、残り時間5分間位で〇水、一〇両選手に抜かれ、最終ラップ4位の選手に危うく抜かれそうになりながらなんとか3位でゴール
タイヤはボロボロ、特に右フロントタイヤはワイヤーが数本むき出し、もう1周あったらバーストしてたかも。
 今回のレース、完全に私のタイヤ選択の誤りでした、練習走行と違い本番ではタイヤへの負担がかなりかかるんだ、
​というお勉強でした。
 
旧西日本サーキットの最終コーナー
旧西日本サーキットの1コーナー
旧西日本サーキットのバンク
 第6戦、、最終戦です、この少し前コース全体が再舗装されかなり走りやすくなりました。しかしここでもまた大事件発生、大波乱の結末となります。
 予選開始前、いつものようにタペット調整をしてもらいます、これが終わりいつもであれば、カバーも取り付けてもらえるんですが、チーム内でちょっとしたトラブルがあり私が取り付けることになりました、まあそんなに難しい作業でもないし、、、予選開始、絶好調。新舗装コースと相まって、2周目コースレコード、「よっしゃ~もう一周」のはずが、突然エンジンが吹け上がらなくなりました、惰性でピットまでたどり着きボンネットを開けてみると、なんとエンジンオイルが飛散、エンジンお釈迦。そうなんです、私がタペットカバーパッキンを取り付けるときにずれていたんです。しばし放心状態、/(^o^)\ナンテコッタイ こんなことで終わるなんて、、、しかしチームは終わったとは考えていませんでした、エンジン交換を始めました、といってもスペアエンジンがあるわけではありません、某チームが来年シビックレースを始めようとガレージ内に埃を被ったエンジンが置いてあったものを借りたんです。
​ 決勝レースは当日の最終レースなので時間はたっぷりあったはずでしたが、ホンダからクレームが入り、メインレース(確か、スーパーシルエットレース)の前で行うことになりました、一気に時間が無くなりましたがなんとか決勝に間に合いました、ポールポジションは私、エンジンに不安を抱えたまま、よーいドン。
レース前の予定では、予選のタイム差から行くとトップぶっちぎりを想定してたんですが、、、〇水、一〇、両選手が
びったり張り付いてきます何とかしのいでいましたが、ラスト2週、〇水選手にバンク(画像右上)でアウトからまくられ、最終週、3コーナー手前で一〇選手にアウトから仕掛けられ接触、スピン、クラッシュ、シビックレースチャレンジの1年間は、シリーズ3位で終了しました。
​ 後日、鈴鹿サーキットより招待状が届きましたが、車がスクラップになりましたので出場いたしませんでした。
2年間の勲章です
 最後に面白いお話を。
第1戦から3戦までセカンドグループでガンガンやりあっていた、〇中選手、一度後ろからプッシュされスピン食らったことがあり、レース終了後、興奮していたので、ピットに怒鳴り込もうとしていた所、監督から「怒鳴り込んでもいいけどあいつは右翼の幹部だよ」と教えられ、急遽取りやめたことがあります。ある時その事実が判明します。
 シビックレースも終了した11月頃、山口県厚狭の〇✖峠の国道2号線を挟み、機動隊と右翼のにらみ合いが発生しました、機動隊はドライブイン「寝太郎」こちらの駐車場の端に私の所属するチームのショップがあります、方や右翼はドライブイン「こだま」、睨み合いの中から右翼の一人が国道を横切り機動隊に向かってくるかと思いきやチームのショップに入って来て「三戸さんは鈴鹿に行くのかな?」と尋ねて来、ショップ店員「三戸さんは車が壊れたので行かないそうです」右翼の一人「そうなんだ」と帰って行ったそうです。私は後日その話を聞き、その場にいたら彼とお友達になれた?
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